たまにくるやつ
たまにくるやつがある。
例えば「生きてきて一番最悪の時期をどうやって乗り越えたか」を考えるやつ。
そして、だいたい答えは出ないやつ。だいたい最悪の時期には精神が荒廃してるし、防衛機制がはたらいているのか覚えていない。多分誰かに助けられてどうにかなったのだろう。人には恵まれてきたし、人に恵まれたことを誇りに思う。やだなすごい泣きそう泣かないけどなんか泣きそうだなというそれ。結局泣かないけど感傷的になって明日も頑張ろう…となるそれ。
あと前も書いたような気がするけど「ア〜とか言いながら何かしらずっと書いてしまう」やつ。来てほしいときにはこない。よくわからないときにくる。来てほしい形で来てくれるとも限らない。無理に引きずろうとするとむしろ遠ざかるやつ。ちゃんと餌と水を上げようと思いつつ無碍にしてしまうやつ。
たまに来るやつがある。同じものばかりずっと食べてしまったり、何か特定の食べ物が急に食べたくなるやつ。チーズナンだったり、パフェだったり、サラダチキン(梅)だったりする。今は浴びるほどチーズが食べたい。チーズがアホほど乗ったピザに蜂蜜をかけて食べたい。人の金でピザ食いてえ〜!!!!
追記:ツイッターでタピオカ見かけるたびに飲みたくなる
悪くはない
すぐ影響を受ける。好きな人やものに、ネットの意見に、友達に。よく言えば素直だし、悪く言えば自我がない。最近は自分の思考回路と照らし合わせて合うものを選んでるつもりでいる。でも割とすぐ影響を受ける。ラジオで聴いた曲は調べて聴いてしまうし、Twitterで見かけたレシピでできそうなやつは試してしまう。昨日、生姜のチューブの後ろに載っていた料理が気になったので調べて作った。めちゃくちゃ美味かった。これは関係ないか。いや、身のまわりにあるものが気になったゆえの行動だから関係なくはない。ともかく影響を受けやすい。
この前Twitterでこのような意見が流れてきた。
https://twitter.com/cioran_jp/status/1037545141727182848?s=21
とても納得したし、私の作るものが今後良くなっていくかどうかはここにかかっているな、と思った。今後は専門外の分野にも目を向けていこう。
ただ、私は生物や医学に関する本を読むのが苦手だ。文章を読むこと自体が苦というわけではなくて、内臓や虫のリアルな絵や図、写真が苦手なのだ。土壌の図とかも、ものによってはちょっと苦手である。時と場合によっては疾病に関する話を聞いたり読んだりするのもちょっとしんどい。まともに食らってしまうから。
ここの知識を避けることで得られない何かがあるのは惜しい気がする。でも苦手なものは苦手だ。できれば避けて歩きたい。全くないわけではなくともそういうものに接する機会が比較的少ない文学部に進んだのはそういう理由も2パーセントくらいある。興味の範囲が狭い自覚もある。専門の範囲を出ない。「文学部」で学ぶ領域で収まっている。それならそれを極めた方がいい気もしてくるし、それだと成長しない気もする。どうしたものか。
豊穣な人間になりたい。でも、心安らかに生きたい。ここって共存しにくいんですね。意外。
とりあえず今はお腹がいっぱいで死ぬほど眠いです。
雨天決行
案の定ファイナリストぽろっといっちゃう人いるの業って感じしますね。当日までに何組かバレてそう
友人3人とドライブに行った。小学一年生からの付き合いで会社勤めをしている友人の運転だった。通勤のために毎日運転しているらしく、頼もしかった。「大人」を感じた。免許取ろうかな、とちょっとだけ思った。
友人の車に乗って海の見える町に行く、という行為は言いようもないときめきを感じるが、あいにくの曇天、というかめちゃくちゃ雨天、なんなら土砂降りだった。
見渡す限り薄曇りだった
ワニの置物
雨が降っていたので特に何もせず、お土産屋を物色してケチをつけるなどし、結局デカいイオンに行った後、焼肉を食べた。
今日の4人は中学が同じで、そのうちの1人とは卒業後ずいぶん会っていなかったのだが、道の駅でおもむろに試食の梨をむさぼるそいつを見てなぜかツボにはまってしまいずっと笑ってしまった。中学時代にいい思い出はないけど友人には恵まれてよかったと思う。ずっと笑っていた。今めちゃくちゃ眠いけど…
なんだかんだいうても
見に行ってもない地方在住お笑いファンですがやっぱりキングオブコント準決勝がどうだったかは気になりますよね。KOCに至ってはちゃんと見始めたの去年からだから何にも言えないんだけどルールがコロコロ変わるという印象は強い、去年もルールが変わったのに今年もよくわからないルール改訂、出場してる側も混乱するだろうな…
去年は応援してる人が決勝進出したこともあって大はしゃぎしたし、決勝を見て面白いと思った人たちがなかなか評価されなくて辛くもあった。今年は予選の段階で好きなコント師がボロボロ敗退して、卯月は解散するし、お笑いファンはめちゃくちゃ心をかき乱されてる上に、当日発表という心臓に悪いシステム…絶対バラしちゃう人いると思うし、聞き出す人案の定いるし、てかなんとなくわかってくるじゃん…まあお笑いファンのためにやってるわけじゃないし割り切るしかないんでしょうね…言うても楽しみだし、応援してるひとは全員上がってほしい。
これを言うのはめちゃくちゃ辛いのだが昨日の四千頭身オールナイトニッポンゼロで心をかき乱されてしまった…まさか後藤さんとバシくんがバチバチになるとはな…精神的な余裕のなさと若さがうかがえるし裏でやってほしかった、これから純粋に楽しめない、2人はちゃんと話し合ってくれというのがTLの総意だし私も概ね異論はない。オールナイトニッポン公式のインスタに和解したみたいな写真も上がってたし、放送終了してめちゃくちゃ時間が経ってるのにネチネチほじくり返すのもなんか違うような気がするしツイッターでさんざん言ったけど!やっぱり辛いですよね! 好きな人たちが喧嘩してると!いつもは穏やかで滅多に怒らなさそうなほうの人たちだからこそびっくりしたし落ち着かない! つづちゃん(都築さん)の良いところが出てたのはめちゃくちゃよかった、お兄ちゃんだなぁ。他人は他人、自分は自分、のむずさ。トリオならではの強みと弱みを感じた回でしたね、彼らと同年代のリスナーはビビってて、ちょっと年上のリスナーは面白がってるのも興味深い。若いってことなのだろうか。来週どうなるんでしょうね。四千ミルクもあるし。バシくん来週誕生日だし。ア〜メンタルよわよわ人間だから普通に病んでいる、こういうのは普通にヘコむ。なんで? と言われたらなんと言えばいいかは分からない、最悪の妄想をするのは人間の悪い癖で、私も例外ではない。とはいえ後藤さんが「ネタ中にバシくんを笑わせるためにあえてネタの変更点を教えていない」と言っていたのはちょっとグッときてしまったし、でも「トリオだから」教えてほしいと切迫した声色で言うバシくんにも切なさを感じるし、つづちゃんがヘラヘラしてくれるのが良い緩衝材だしで、私はやっぱり彼らが好きだなと感じた。やっぱり。これは来週も聴かなきゃだな、そうだろ?
てか今日収録もライブもあったんかい、キツいな…大丈夫かな…まあ大丈夫だろうと思いたいなぁ…
(追記:マジへこみしていたのですがマセキチャンネルが更新されてハッピネスになりました。お笑いは、良いですね〜。パーパーとかが屋とカナメストーンを見ためちゃくちゃ良いですねかが屋決勝行ってくれ)
よそおい
自分の顔にシミがあることに、最近気づいた。
おそらくずっと前からあったんだろうけど、気づいたのは1年前だった。自分でも怖い。化粧をするようになったから鏡をまじまじと見るようになったけど、それがなかったらシミの存在にはずっと気づかなかっただろう。今ではそれを消したくてしょうがない。
服や化粧に気を遣うようになったのは高校を卒業してからで、それ以前の身だしなみに気をつけるようになったのは中3とかそのくらいだった気がする。自分の外見に対する意識が0だったのだ。「醜いから何をしても一緒だ」と思っていたのだ。実際中学の頃は人生(暫定)の中で一番醜かった。髪がボサボサのまま学校に行っていたし。これ以上思い出せないのは、当時本当に外見に意識が向いてなかったために記憶がないからだ。あとはベタに服屋が怖かったし、服を見に行くための服がなかった。今もちょっとそのケはあるけど、ずいぶんとマシになった。自分に似合う服がわかると、それに合うようなメイクの仕方を考えるのが楽しくなった。自分の顔はあまり好きではないけど、技術次第でいくばくかマシにできるという事実は救いだ。
自分の好きな服を着て、自分の好きな色を顔にのせて、自分の好きな髪型にすることは手っ取り早く自己肯定感を高めてくれる。他人がどう思うかでなく、自分の意思で決めたという感覚、自分が習得した技術でそうなったという事実が大事なのだ。自分はそこまで悪くないかもと思えることが。
ところでファッションとか化粧に関して語るとき、「異性ウケ」とか「同性ウケ」とか考え出すのは意味がないから嫌だなと思っている。別に迎合しようとして服を着たり化粧をするわけではない、自己満足なのだから。可愛いと思う服を着るのは楽しいし、まぶたがキラキラするのは嬉しい。服やメイクの趣味くらいで人格を判断されたくないし、ほっといてほしい。私は丈の長い服が好きだし変わった柄の服が好きだから着る。「これ着てイタいと思われたらどうしよう」とか考えるのやめよう。私もあなたが何を着ていようが「あ、そうなんですね」くらいにしか思わない、あなたもそうしてくれ。女性が服を着るとき気にするのって意外と同性の目だと思うんですよね。うるせえよな。お前らに気に入られるために服買ってねえよな。お前らが何着ててもどうでもいいので私も好きな服着るわな。「○○を着てる女は絶対自分のこと可愛いと思ってる笑」とかいうくそしょうもねえ自称サバサバどものブランディグに付き合ってられっか、クソがよ、身の回りにもフォロワーにもこういうしょうもねえ女がいなくてよかったわ最高だな。え?だとしたら私は何に怒っていたんだろう。メディアにより可視化された世間という仮想敵か? 世間が人の服装にいちゃもんをつけるのなら私は大人になりたくない。他人の目を気にして生きづらくなるのはまっぴらだ、元号も変わるというのに。多分これからも何かにつけて自分の趣味嗜好を顧みては落ち込むんだろうけど…
こんなことを書いていますが、昨日眠れなくてなんとなくずっと起きてたら化粧のノリが死ぬほど悪いです。最悪ですね。早く寝ましょう。今日もラジオ聴くんですけど。
追記: 北海道で起こった地震が予想以上に大きくてびっくりしている。向こうの大学に通う友人は無事だったが一刻も早く日常が戻ればと思う。命と日常は大事なので。
永遠の問い
おもしろ大学生になりたい。
ものすごくバカみてえな字面だが、私の目標である。おもしろ大学生、という字面がもう面白くないですね。おもしろ人間になりたいです。おもしろ社会人になって、おもしろおばさんになって、おもしろ高齢者になりたいです。おもしろおばさんとおもしろ高齢者の間に「阿佐ヶ谷姉妹のようなナイスミドル」も追加でお願いします。知的さと上品さのあるナイスミドルになりたい。あとでかいムーミンのぬいぐるみと暮らしたい。
お笑いにハマったのは高校二年生の終わり頃にメイプル超合金を好きになったことがきっかけで、そこから受験生のくせにズブズブお笑いにハマり、お笑いが生きがいの浪人生活を過ごし、今に至る。いや短いな。意外とまだそんな感じなんだな
私は昔から好きなものに影響されやすい。小説を書き始めたのは幼少期から本が好きだったからだし、音楽を好きになったらベースをやってみたくなった。で、お笑いを好きになったら面白くなりたいと思った。ちょろすぎる。己が。
面白いってなんなんだ? と考え出す期間が定期的にやってくる。私は脳みそをほじくってくるような、価値観を揺さぶってくるようなものと、生活の中に馴染むような穏やかさとこちらをハッとさせるような新鮮さをあわせ持つものが好きで、そうありたいのだけど、よっぽどインプットが足りないのか全然及ばない。そういうものが向いていない可能性もある。「努力してもないくせに、一丁前に向いてないとか言うな!」という内なる声と、「お前がテクニカルなことやってもなんか着られてる感しかねえな!!!!!!」という内なる声に苛まれ、「結局は爆発が一番面白い」という結論に至る。このブログ「〜という結論に至る」て言い回し多くない? 文章だからしょうがないのか?ボカーン
あとめちゃくちゃ根が暗いくせに内輪でめちゃくちゃテンションが高いという悪しき性向があり、徹夜明けみたいなテンションで友達に話しかけたり、急に歌い出したりするの、その場では楽しいけどひとりになったときふと「あれ何…??????」となるからやめたほうがいいな、例えが悪いけどシャブってこんな感じなんだろうな、なんだこれ。ともかくこれも面白いとは何かがわからなくなったゆえの行動なのだろう。面白いってなんだろう。お笑い番組はずっと好きだし、エンタの神様が放送されていたときはコウメ太夫が一番好きだったし小6のときはピカルの定理きっかけでピースのまったんが好きだった。今でも好きだし。でも、面白さのベクトルが違いすぎる。面白いってなんだ?
雑念または衝動
葬式で牧師がセクハラってコントかよ。すいません叩かないでください、皮肉なんです、皮肉のことを皮肉だと言わせないでください、誰にも言わされてないんですごめんなさい自分の意思です、こんなところにラーメン屋できたのか入ってみよ、ウイーン
夏休み中にひとりラーメンキメたいな、くらいのことはすぐできるのに、ノートに下書きをして熟考の上ブログを書こうとかTOEICの勉強をしようとか本を読もうとか小説書こうとかはなかなかできないのなんなんでしょうね。生理的欲求に基づきすぎている。でも7月末は「ア〜」などと言いながら狂ったように短歌を書き、8月末は同じく「ア〜」と言いながら狂ったようにネタメールを書いては送っていた。別にやろうと思ってやったことではなく、突発的にやったから怖いんだよな、どういう原理だよ。生理周期か? そうなのか?お?きっちり後半に畳み掛けていくスタイルか? 生理をおもしろにすることに抵抗があるけどやっちゃったよこのヤローむこう3年やらんどこ
テスト勉強は2週間前くらいからこつこつやる方だったのに、自主的にやろうと思ったことを毎日続けるのが得意ではない。毎日やろうと思うからよくないのかもしれない。高2から書いている日記は「毎日書かんでもいいかな〜」くらいの感じで書いてたら3年続いたし。あとちゃんとやろうとするのもよくないかもしれない、日記もちゃんと書いたためしがないし。 このブログもそうだけど途中に「ア〜!!!!!!」とか「ウワーッ!!!!!!」とか入っている。近年の分析により「自分が真面目なことを書いているのが恥ずかしいのではないか」という結論に至った。多分そうである。ワー!!!!!!
性格上、何かを始めるためのガソリンが高潔な動機とか強い意志とかでないほうが長続きするのかもしれない。それでいいのかもしれない。みんな違ってマジみんないい。