言うほどのことでもない

結構大切なことのような気もする

私を構成する42枚

#私を構成する42枚 というハッシュタグTwitterで流れてきた。楽しそうだからやろ~と思った頃には流行りが落ち着き始めていて、体調不良やら何やらでこの記事を下書きに寝かせていたらもう誰もその話をしてる人がいなくなっていた。API事変もあったし。

 でも書きたいので書くぜ。

〈書房の私を構成する42枚〉

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「アルバムで42枚!? そんなにないだろ」と思ったけど、全然あったしもっと入れたいアルバム何枚もある。この画像は実は改訂版で、1回目に入れたけどこれには入れられなかったものもある。42がむずい。

 この画像を作成するにあたって私は「私を構成する」のワードに着目し、これまでの人生の中でよく聴いたものや、学生時代の思い出のアルバム・曲という観点で選んだ。全部について語ると長くなるけど、アルバムにまつわる思い出も書いていこうと思う。

 

〈backnumber「シャンデリア」「ラブストーリー」〉

 私がバンド音楽に触れるようになったきっかけはbacknumberとGalileo Galilei(後述)である。選出したアルバムには収録されていないが何かのドラマの主題歌だった「青い春」を聴いて当時中学生だった私は衝撃を受けたのだった。私の青春にはbacknumberがいつもそばにいた。青くて甘い片想いをするたびに楽曲に自分を重ねて、テスト前には背中を押してもらった。

 

Base Ball Bear 「十七歳」「新呼吸」〉

 高校1年生の春ごろ、友達がカラオケで歌っていた「ドラマチック」をきっかけにハマった。それまで出会ったことのない歌詞世界に衝撃を受け、自分が漠然と「良い」と思っていたものが音楽に、言葉になって目の前に現れてわくわくした。しばらく聴いていない時期もあったのだが、アイドルのオタクになってから小出祐介が描く「君」に好きなアイドルを重ねて再び目の覚めるような感覚になった。

 

クリープハイプ「死ぬまで一生愛されると思ってたよ」「吹き零れる程のI、哀、愛」「一つになれないなら、せめて二つだけでいよう」「泣きたくなるほど嬉しい日々に」〉

 上記の2組と同様、私の青春である。聴くと夏の匂いが蘇る。同世代の方はアネッサのCMソングだった「憂、燦々」でクリープハイプと出会った人が多いのではないだろうか。私も例に漏れずそうで、尾崎世界観の声やレトリックの効いた歌詞に衝撃を受けた。大学生になってから初めて生で見たときは、生きててよかったなあとしみじみ思った。

 

チャットモンチー「生命力」「告白」〉

 校内放送で流れていた「余談」をきっかけに聴くようになった。チャットモンチーを聴いていると、自分がとても可愛い(この「可愛い」は見目が麗しいというよりは、チャーミングで軽やかな、の意味)女の子になったような気分になれる。

 

〈米津玄師「diorama」「YANKEE」「Bremen」〉

 高校でいちばん仲が良かった友達がきっかけで聴くようになった。ボカロPのハチとしての印象が強かったので「アイネクライネ」を聴いたとき驚いた。こんなに人間のあたたかさを感じるような曲を作るんだなあと感動した。

 

ヒトリエ「WONDER and WONDER」「モノクロノ・エントランス」「DEEPER」〉

 米津玄師をすすめてくれた友達がヒトリエも好きだったので聴くようになった。毎年地元のライブサーキットイベントに来てくれていたので毎年楽しみに見に行った。目の覚めるような鋭角なギターサウンドは、未だに私の眼を覚めさせてくれる。

 

ASIAN KUNG-FU GENERATION 「BEST HIIT AKG」「君繋ファイブエム」「ソルファ」〉

 アジカンも、同世代の方はどこかしらで出会うと思う。「リライト」もそうだし、進研ゼミのCМ曲だった「マーチングバンド」もなじみ深い。これらのアルバムを聴くと、友達とCDを貸し借りしたことや予備校に向かう電車の中でうとうとしながら聴いたことを思い出す。

 

椎名林檎無罪モラトリアム」「勝訴ストリップ」〉

 人間、椎名林檎に衝撃を受けることが一度はあると思う(主語がデカすぎる)。「勝訴ストリップ」に収録されている「月に負け犬」は生きていくうえで私のモットーとなっている曲で、折にふれて聴いている。

 

キュウソネコカミ「ハッピーポンコツランド」〉

 修学旅行で東京に行ったときにタワレコで買った。地元にはタワレコがないので、特典の缶バッジを貰ったときすごくワクワクした。「ハッピーポンコツ」も私の人生のモットーである。ライブにも行ったし、大学の学園祭にキュウソが来たときも見に行った。

 

Czecho No Republic「MANTLE」「Santa Fe」〉

 これも高1で同じクラスだった友達にすすめられて聴き始めたと思う。ライブにも行った。前で見ていた背の高い人が場所を譲ってくれたのも良い思い出である。キラキラした音色と心に優しくふれてくれるような歌詞が好き。

 

〈amazarashi「メッセージボトル」〉

 これと、後述する欅坂46の1stアルバムは予備校時代の記憶と強く結びついている。とにかく自意識が尖って荒んでいたので、自分を奮起させるために送迎バスの中で聴いていた。そうして自分のこころを守っていた19歳の私を少し愛おしく思う。

 

欅坂46「真っ白なものは汚したくなる」〉※現在は「櫻坂46」

 サイレントマジョリティーと平手友梨奈の登場は鮮烈だった。当時受験生なりたての青く尖った自意識が揺さぶられるのを感じた。予備校時代は「エキセントリック」の"僕"に共感していたし、今は「二人セゾン」の情景描写を美しいと感じている。

 

フジファブリック「SINGLES 2004-2009」〉

 これも予備校時代によく聴いていた。歌詞と映像の美しさに感動した。バスに遅れそうで走っているときに脳内で「銀河」が流れていたのを覚えている。もう長い夏休みがある年ではないけれど、8月31日には必ず「若者のすべて」を聴く。

 

〈ズーカラデル「夢が醒めたら」「ズーカラデル」〉

 先述した地元のライブサーキットでライブを見て、感動のあまり終演後に物販で音源を買った。ズーカラデルは「私とあなたは違う人間で、あなたの気持ちを完全にわかることはできないけれど、私はあなたを愛している」ということを歌っていると思っていて、それが心地よい(解釈違いだったらごめんなさいね)。昨年福岡で行われたライブに行ったとき、MCで「自分たちは北海道出身だから金木犀の香りに馴染みがない」といった旨の話をされていたのを印象的に覚えている。

 

KANA-BOON「僕がCDを出したら」「DOPPEL」〉

 深夜のローカル音楽番組で「盛者必衰の理、お断り」を聴いて、「なんだこれは!」と目が覚めたのを覚えているし、未だに岸井ゆきのを「ないものねだりのMVの人」と思っている。

 

〈MONO NO AWARE「人生、山おり谷おり」〉

 大学に入る少し前、新しい環境に馴染めるのか不安でナーバスになっていた時期に出会った。たまたま見ていた深夜の音楽番組で「マンマミーヤ!」か「イワンコッチャナイ」のどっちかを披露していたと思う。記憶は曖昧だが、それでもなぜか張りつめていたものがゆるんで不安が溶けていったような気がした。秀逸な言葉遊びが魅力的で、難しい言葉を使っていないのに名状しがたいものに名前をつけてくれるようなさりげない優しさがある。

 

ゲスの極み乙女。「みんなノーマル」「魅力がすごいよ」〉※現在は「ゲスの極み乙女

 好きな芸能人がスキャンダルを起こした最初の思い出。当時はショックでしばらく食欲がなかった。それはさておき、すごい人たちが現れたという感覚を覚えている。川谷絵音は当時からバンド(Indigo la End)を掛け持ちしていたけど、どのバンドの楽曲も良くて、スゲーと思っている。インディゴも好きだったんだよなぁ。「瞳に映らない」が好き。

 

Creepy Nutsたりないふたり」「クリープ・ショー」〉

 意識してヒップホップに触れることがなかった人生だったが、大学に入って「Creepy Nutsオールナイトニッポン0」(当時)を聴き、その流れで楽曲も聴くようになった。DJ松永が世界一になった直後に地元でライブを見れたのは人生でも上位に入る幸運である。

 

Galileo Galilei「車輪の軸」〉

 当時、Galileo Galileiが活動を終了するタイミングでリリースされたベストアルバムである。熱心に追っていたわけではないけれど、携帯会社のCMで耳にした「ハマナスの花」や好きなアニメの主題歌だった「青い栞」、好きなドラマのエンディング曲だった「さよならフロンティア」など人生と結びついている曲が多いので、ショックだった。しばらく名前を変えていたが、最近またGalileo Galileiとして活動を再開したと知り青い記憶がよみがえるのを感じた。

 

〈Mrs.GREEN APPLE「Progress」「Variety」「TWELVE」〉

 ミセスがテレビに出ているのを見るたび、「ワシはミセスのメジャーデビュー当時から知っとる!」という厄介マウントを取りそうになる。メンバーの脱退など様々な変化はあったが、良いなぁと感じる気持ちは変わらない。先日久々に「我逢人」と「CONFLICT」を聴いたら昔とは違った感じ方ができて沁みた。

 

yonige「Coming Spring」〉

 「アボカド」の衝撃を覚えている。当時の私はちょっとスレた、爛れた恋愛に憧れがあったようである。今は全然そんなことない、幸せな恋愛がしたいしなんなら恋愛をしたくない。

 

My Hair is Bad「narimi」〉

 「爛れた恋愛への憧れ」でマイヘアも聴いていた。多感な私には「ブラジャーのホックを外す時だけ心の中まで分かった気がした」がすごくセンシュアルな響きだったことを覚えている。

 

 こうして見ると、邦楽ロックにハマった高校時代によく聴いたアルバムが中心になっているなと思う。中学までは見ていたアニメやドラマの主題歌、またはボカロの曲を聴くくらいで、「CDを買って音楽を聴く」という習慣がほとんどなかった。(というか、ごく私的な感覚として私の自我が芽生えたのは高校生になってからと記憶している)

 また、大学生になってからもしばらくはCDを買ったり借りたりして音楽を聴いていたが、サブスクを利用するようになってからはまたCDを買う習慣がなくなってしまったこともわかる。サブスク解禁していないアーティストのものはCDを借りたり買ったりするけれど、YouTubeでミュージックビデオを見て満足してしまうことが多い。音楽のサブスクリプションサービスが登場した当初「私は絶対CDを買って音楽を聴くんだい!」と息巻いていた自分がこうも時代の波に流されているのは面白くもある。

 

 そして、思い出を語るときに「衝撃を受けた」という表現を頻用しているのを見ると、中学~予備校時代の私はすごく感受性が豊かだったんだなと微笑ましく思う。自画自賛とかじゃなくて、目にするもの耳にするもの何もかもが新鮮に感じていたんだなと切なくなった。今だって音楽を聴くのが好きで、新しい音楽と出会うたびに良いな、とは思うけどあの頃みたいに衝撃を受けるほどではなくなっていることに気づく。学生時代、現在の私と同じくらいの年齢の人が同じようなことを言っているのを見て「いくら大人になったからといって感受性が変化することなんかあるのか?」と思っていたけど、20代も折り返しとなった今になったらわかる。Galileo Galileiの「夏空」に「好きだった歌が響かなくなったな」という歌詞があり、高校生の頃はこの歌詞について「そんなことあるわけない」と思っていた。これも、今ならすごく共感できる。昔よく聴いて救われてさえいた曲が今の自分とは合わなくなっていて愕然としたことがある。でも「夏空」は今でも好きだし、響いている。あの頃好きだった曲は今でも好きだ。あの頃の私がたしかに救われたことを抱きしめていたい。合わなくても響かなくても、大切だから。