言うほどのことでもない

結構大切なことのような気もする

なんてことはない


 出先でコンビニのトイレに入ると、「いつもきれいにご利用いただき〜」というような文言の貼り紙があった。

 これについての議論は多々なされているけど、正直なところ私はその類の張り紙について何の感情も抱いたことがない。抱いたことがない、ということだけはずっとあった。何か感情を捻出しようとしても、何も出てこないほどにはそれについて無関心だった、ということには、いま気づいた。

 そういうことに細かく気づいて怒ったり議論したりできる人は、感受性が豊かなんだろう。でも私は共感できないので、見知った人からそういうことを言われたら「俗〜」となってしまうかもしれない。あれについての議論をしたがる人はちょっと俗に見える。類似の事物として、スポーツ選手やタレントの、本人の生来のものとしか思えない言動に対し、何の損失も負っていないのにケチをつけたがる人。あれも俗っぽい。うへ〜、となってしまう。

 とはいえひと文で、数多の人間、に多種多様な感情を抱かせることができる文言って実は発明では? とも思いつつ、そこをあとにした。そのあとはそんなことも考えず普通に友達とタピオカを飲み、カラオケに行った。ハッピーな休日である。


 公開したくせに何とも書き足してるのは潔くないけど、今日思いついたことは今日書いておいた方がいいような気がしている。

 今日会った友達はいま、自動車学校に通っているらしい。大変だと嘆いていた。私は免許を取ろうと努力している友人を尊敬しつつ、ちょっと後ろめたさも感じていた。

 大学生になったら車校に通って免許を取るのが通過儀礼のようになっていることと、大学生は勉強していないかのように非難しつつ、サークルも車校もバイトも全部やってて当たり前のような風潮が、私はものすごく嫌だ。気にしなければいい話だけど、やはり地方都市では自動車の免許を取ることが当たり前らしい。すげー嫌だ、車社会じゃない都市に骨を埋めたい。

 ハライチの澤部氏やアルコ&ピースの平子氏も長らく免許を持っていなかったという事実にちょっと安心もしたが、彼らがめちゃくちゃ面白いなし得た人で私はさして面白くない地方都市のクソガキだということを忘れていた。めちゃくちゃ面白くなることと自動車の免許を取ること、私は同じくらい困難だと思う。世知辛いでございまさあね。ガッデム。